近自然工法とは何か
−スイス・ドイツ・オーストリアの川、眺め歩記−

孫田 敏@ARCS 


2.チューリッヒの近自然工法

 これからの章では実際に見てきた事例を紹介する。ただし、多くの事例は他の諸氏が書かれると思い、私が気になったことを主に書きたい。

 その前にチューリッヒ州の概観をみておこう。チューリッヒ州はスイスの北部に位置し、面積1,729平方キロメートル(うち森林は534平方キロメートル・30.8%)、人口約116万人(1993年)の地域である(数値はチューリッヒ州のホームページより)。北海道でみると、札幌市・江別市・北広島市・石狩市・小樽市の合計面積が1,786平方キロメートルあるから、それよりもやや小さい行政区域を思い浮かべてもらえばよい。

 チューリッヒ市は州都にあたり人口34万人(1997年,二宮書店,2000)の都市である。北緯47°23′・東経8°34′、標高・569mに位置している。おおまかな気象データをあげると、年平均気温8.7℃、年平均降水量1,121.5mm(国立天文台,2000)となっている。なお巻末資料に今回訪れた諸都市と札幌の気象条件等を一覧表にしているので、札幌との比較も行ってみて欲しい。

2.1 走りながら考える

 本題に入ろう。トゥール(Thur)川の事例である。トゥール川はライン(Rhein)川の支流でチューリッヒの北方を東西に流れる川である。流域面積1724平方キロメートル、流路延長125 km。Toggenburgに源を発し、Ellikon付近でライン川に注ぐ(スイス・ホームページより)。流路延長ではスイス国内4番目、流域面積では国内5番目の規模の河川である。図-2.1.1に示すように直線的・幾何学的でひとめで一次改修が完了していることがわかる。(トゥール川の改修の詳細については資料編に載せた。)


図-2.1.1 チューリッヒ州の河川位置図

 このような河川改修は、生態系にダメージを与えるだけではなく景域の貧困化、河床の低下、親水性の欠如など多くの多くの問題もはらんでいる(山脇,2000b)。景域の貧困化がなぜ問題となるかは前章で述べたとおりである。

 Altikon付近で現在取り組んでいるのが、堆積域(中州・寄り州)ができるような流路づくりである。流路を蛇行させたわけではない。何をしたかというと、低水護岸の撤去である。写真-2.1.1では護岸は見えないが、空積みの石積みとなっている。材料に石を使い河畔にはヤナギ類が繁茂していることから、法線は確かに直線であるが、日本では多自然型と称する場合もあるのではないかと思える場所である。しかしここでは全体に平瀬化しており、水の流れは単調になっている。ここでは低水護岸を撤去して水の流れを開放し、水の流れで流路を拡幅させる、という考え方をとっている。写真-2.1.2に示すようにこのもくろみは的を射て、砂礫堆が発達し水の流れに多様性が生まれている。


写真-2.1.1 トゥール川の1次改修区間の状況


写真-2.1.2 トゥール川の砂礫帯生成状況

 私たちが訪れたときには、一度護岸をはずした場所に水制工を設置しているところであった。山脇氏の話によれば、昨年1/100を越える流量が流れ当初施していた木柵護岸が壊され、再度施工しているとのことだった(写真-2.1.3)。低水護岸を撤去するというのは一つの実験という位置づけであったが、これでは護岸がもたないことが実証され、より河岸の安全性を高めた水制工へと換えているということである。

写真-2.1.3 トゥール川の水制工の施工状況

 今回の現地見学の中で何回も山脇氏の口からでたことばに、「先を予測しそれに基づいて計

画・実行していく」というものがあった。それは水の流れの変化だけを予測するのではなく、時間概念を明らかにして景域の変化を予測することだという。それができるのが景観家(ちょっと馴染みのないことばである。Landscape Engineerとでもしておこう。)である、とのことであった。そして、Landscape Engineerについては後述するが、近自然工法を適用していく(つまり景域保全を行う)上では欠かせない存在である、とも。

 Landscape Engineerについてはさておき、ここで感心したことは明確な作業仮説のもとで実験を行っているということである。日本の試験施工(あるいは本施工でも)でもっとも欠けている部分である。日本では十分な作業仮説を立てないで思いつきで施工を行うことが多く、その結果何を検証すればよいのかがわからなくなってしまうことが多々ある。ここでは、護岸をはずし流路を開放すれば水の流れで流路は拡幅され、州ができ水の流れに多様性が生まれるだろうという予測のもとに実験を開始している。その仮説は検証されたけれども、また違う問題が生まれたということである。仮説をたて検証し、うまくいかなかった場合には何がその原因なのかを検討し、また次の手段を考える。このシステムが実にうまく働いているように思えた。護岸を柔構造にするだけでなく、それを考える頭の方を柔構造にしなければ近自然工法はうまく使いこなすことはできない。近自然工法とは決して単なる方法論ではなく、現場で試行錯誤できる論理の組立ができることであると思う。

 このとき「実験」ということばがでたので、近年アメリカで行われるようになった「adaptive management」と同義であるかどうかを訊ねたが、違っているとのことだった。ちなみに「adaptive management」とは、日本では「順応的管理」と訳されている生態系など(この中には当然河川生態系も含む)の不確実性の高い現象を管理するための手法で、様々な自然環境に対する人間の働きかけを一種の実験と見なしている。計画は仮説、事業は実験であり、監視の結果によって仮説の検証が試みられる。その結果に応じて、新たな計画=仮説をたて、よりよい働きかけを行うべく、事業の改善を行う(鷲谷,1999)。これまでの伝統的な管理との違いを表-2.1.1に示した。「仮説-実験-検証(モニタリング)」を前提としており、科学的な結果と管理手法の間に直接的なフィードバック機能を持たせたことに大きな意味を持つ(中村,1999)。

 1996年にコロラド川のグレンキャニオンダムで行った人工洪水も「adaptive management」の考え方に沿っている。

表-2.1.1これまでの伝統的管理と適応可能な管理の違い(Halbert,1993)(中村,1999より)

 話は逸れた。若干ことばの内容は違っているようであるが、河川管理の考え方・手法は事業を「実験的」に捉えているという意味では同じような方向性を向いているのではないかと思われた。ただ最近ヨーロッパでの河川管理とアメリカでの河川管理の話を聞いていると、かなり根本的なところで違っているような気もする。アメリカではより説明的であるのに対し、ヨーロッパではかなり哲学的な思考をしているように感じられる。これについては、いずれ稿を改め考察してみたい。

2.2 高茎草本がない

 写真-2.2.1を見ていただこう。どこか懐かしいと感じる気持ちにはならないだろうか。あまり手を入れていない北海道の川といった感じの景色である。でも何か北海道の川の景色とはちょっ

写真-2.2.1 ネフバッハの河岸の植生

と違う。私が最初に思ったのは、「イタドリがない」(実は後でザルツブルクやミュンヘンでお目にかかった。ミュンヘンでのビンダー氏の話によれば、園芸種として持ち込まれたイタドリ(オオイタドリではなく本州産のイタドリ)が逸散して増えたのだという。)ということだった。(帰国後まもなく朝日新聞にヨーロッパでイタドリが増えすぎて困っているという記事がでていた。)さらによくみるとヨモギの類もない。山脇氏に尋ねたところ、そこに見られるイネ科草本はもともとの自生種であるとのこと。「近自然」による植生の復元が人間にとっても気持ちのよい空間を作ることができるという恵まれた環境にあるのだと思った。ちなみにそこかしこで見かけるイネ科草本とは牧草類でほかならず、日本では導入種である。ただ、スイスでも帰化植物の繁茂は問題となっているとのことだった。

 河川付近のみならず手を入れない牧草地では、日本でいう「ワイルドフラワー」が咲き乱れ、心地よい景色をつくり私たちの気持ちを和ませてくれる(写真-2.2.2)。私は比較的植物種が少なく(北海道と同程度かあるいはそれ以下。北海道生活環境部(1999)では低地から高山まで含めて2,872種としている。)、植生も単調であったように思った。鬱蒼とした藪にはなっていない。木本


写真-2.2.2 咲き乱れるワイルドフラワー(チューリッヒ市内)

類だけに限って見れば、ヨーロッパの森林を構成する種は広葉樹30種と60変種、針葉樹7種と18変種で(Michel Deveze,1972)、北海道の自生高木種が亜種も含み150種(辻井ほか,1992)、低木類を含めると二百数十種という種数に比べて少なく、その単調さを知ることができる。

 なにゆえこのような植生となるのか。氷期との関連である。最終氷期は今から1万8千年ほど前が最も寒冷な時期だったといわれ、そのころのアルプスの北側では、山岳地帯は氷河に覆われ、バイエルンなど現在丘陵で緩やかな起伏を見せているようなところは周氷河としてツンドラであった。氷床近くにはほとんど植物は生育できない。ツンドラは永久凍土地帯に広がる高木を含まない平原のことをさす。現在ツンドラと呼ばれている地域では、イネ科・アブラナ科・カヤツリグサ科・ユキノシタ科・キンポウゲ科・ヤナギ科・ツツジ科など約30科・70属におよぶ種が生育している。そこに生育している植物種は現在に比べごく僅かだったわけである。その後次第に温暖化してきたのだが、植物が繁茂するためにはどこからか種子が供給されなければならない。氷期の間でもヨーロッパ大陸のすべてが氷河に覆われたわけではない。氷河に覆われなかった場所は植物のrefuge(避難場所)となり、温暖化して地表面が現れるとともに植物は分布を広げた(酒井,1995)。しかしその間寒冷な環境に適応できず滅びた種もあった。その種子の供給源はアルプス山脈の南部だったと推定されている。しかしアルプス山脈は標高4000mを越える山並みが続き、決して多くの種類の種子が風で運ばれたわけではない。アルプスが種子の供給を阻んだのである。これが比較的植物種数が少ない理由であると何かの本で読んだことがある。この原稿を書いている途中思い出そうとしたが思い出せない。伝聞のまま記載する。一方北海道はどうだったかというと、北海道ではほとんど氷床は発達しなかったと考えられている。花粉分析の結果を見ると(小野・五十嵐,1991)、最寒期の剣淵盆地ではグイマツ(カラマツの一種で千島列島などに自生している。)の花粉が僅かに見られ、キンポウゲ科・キク科・ハナシノブ・セリ科・バラ科・マメ科・カラマツソウ・シソ科・カヤツリグサ科・イネ科など20種あまりの草本が卓越する草原であった(小野・五十嵐,1991)。また富良野盆地ではグイマツなどが卓越する矮性の森林であったと推定されている。北海道で氷河の痕跡といわれているのは日高山脈の七つ沼カールなどで、高標高地である。かいつまんで書いたが、最終氷期の時に植生のかなりの部分を失ったか、植生が絶滅するほど寒冷化しなかったかが現在の植生のあり方を決定づけている。本州はさらに北海道よりも暖かかったようで、現在の北海道の植生=落葉広葉樹林と同じような景観であった。

 近自然工法が用いられるようになったときに、単に藪をつくるだけであって決して人間にとって心地よい空間とはならない、安易に近自然工法を用いればよいというものではない、と警鐘(?)を発した某大学の造園学の教授がいたが、確かにその通りである。近自然工法を用いてもスイス・ドイツのように人間にとっても心地よい植生にはならないのは事実である。そうならないから近自然工法が誤っているのではなく、人間が一歩引いて人間にとっては快適ではないけれどもそれが生態系にとっては当たり前であり、必要なことだという認識を広めていくことが大切だと思う。


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