さくら

1981年冬

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当時勤めていた会社で、他社との差別化のために、ほかではまねのできない技術を身につけてアピールしよう、ということになった。

題材は「さくら」。確実に桜の園をつくることができる技術を身につけ、アピールしていこうという。そのために各地の桜の名所を回り、8ミリフィルムに収めてきていた。私は担当だったわけではなく、「いいなぁ、花見の宴会をあちこちでできて…」と、ちょっとだけ羨んでいた。

さて、花見のシーズンも終わり、いざフィルムを編集するときになると…。

「やっぱり、やったことのないものには、無理だわ。おまえ、やれ!」という上司のひとこと。前々年に有珠山の記録フィルムの編集を担当させられ、当時NHKの嘱託でプロデューサーの指導をしていた竹花さんという方のところにひと冬通って、曲がりなりにも12分くらいの記録映像にまとめたことがあったのだ。ただし、何も知らないよりは「まし」というレベルである。

そのときの作業では、「身を削る思い」だけではなく、実際に3kgほど体重が減ったのだから、「身を削った」のだった。なぜって? ほとんど弟子状態で、毎晩朝方までぼろくそに怒鳴られまくっていたからである。「そもそも、どうしたい?」、「ふだんテレビを見ながら何も考えないのか?」、「こんな言葉遣いでは伝わらない!」、しまいに「そんなドンくさいやつはいらない。帰れ!」

記録映像をつくる、なんてことは一度も考えたことがない。そりゃそうだ、そんなことをやってみたいと思ったのなら、林学科なんて行かない。どちらかといえば、ずっと山小屋の番人でもしていたいと考えていたくらいだから。

また、身を削るのかぁ・・・・・。

残念ながら、有珠山の時の台本は誰かに貸したまま戻ってこず、今はない。「さくら」の構成と台本が残っていた。すっかり黄ばんでしまっているが…。

耳から入る言葉が理解できるように書く、見えているものを言葉で説明する必要はない、何を伝えたいかを考え全体の流れをつくる、絵コンテを描く、きれいなものだけを映したら何がきれいなのかわからない。まるで知らない世界を、怒鳴られ、怒鳴られ、さまよい、トレーニングをさせられた。

このあと、「公園」という記録映像のとりまとめにも関わった。たった3本だけの経験だったが、その後の仕事のベースになったような気がしている。映像に限らず、表現手法としては同じことを考えなければならないのだから…。