「善」と「悪」は共生する

塩野 七生

翌・16日には、イェルサレム市内の街路を流れる血で染められた惨劇はくり返されなかった。だがそれは、諸侯たちがやめされたからではない。兵士も巡礼も夕方まで続いた殺戮に疲れ果て、城壁の外の天幕に戻って眠り込んでいたからである。それで静かになっていた市内を通って、と言っても殺されたイスラム教徒たちの屍が重なり合う間を通って、諸侯たちは聖墳墓教会に集まり、陥落後初めて全員が顔を合わせたのであった。

だがその翌日は、聖墳墓教会の中で、神に感謝の祈りを捧げることだけで終わった。異教徒を見れば見境なく殺したと同じ人が、その日は祭壇の前に泣きながらひざまずいていた。「聖都イェルサレムの解放」は、西暦1099年7月15日についに成し遂げられたのである。ヨーロッパを後にしてから三年が過ぎていた。

人間には、善人と悪人の違いがあるのではない。ひとりの人間の中に、「善」と「悪」が共生しているのだ。だからこそ宗教や哲学や倫理によって矯正に努めるのだが、いまだに成果ははかばかしくないのである。古人はこの現実を、「陽の下に新しきものなし」と言った。

110816/2011年
塩野七生,2011,十字軍物語 1,196-197p,286pp,新潮社