他者の存在を知る

渡辺一史

お互いの気持ちが行き違うことなく、人と人が滑らかな関係を保っている限りにおいて、人は自分のイメージや思い込みを、ただ投影しただけの相手と向かい合っていることができる。

人間どうし、必ずわかりあえると信じることも可能だし、不理解や行き違いや蔑視や偏見や差別もあるだろう社会を、自分以外の人のせいとして語ることもできる。

しかし、ひとたび他人の前に自らを晒せば、そうはいかないことだらけである。相手が自分の気持ちを受け止めてくれないといっては傷つき、苛立つ。他人に対して、意地悪な自分がふと顔を覗かせる。自分の内部に自分でもコントロールできない感情が存在することに気がつく。

しかし、その現実をしっかりと見据えるとき、初めて人は「自分」の限界を思い知るだろうし、自分とは相容れない、自分の中に決して取り込むことのできない本当の「他者」の存在にも気づくだろう。そして、そこから初めて何かが始まるのだ。

2005/05/05
渡辺一史(わたなべ かずふみ),2004,こんな夜更けにバナナかよ,390p,463pp,北海道新聞社