都市における都市性

司馬遼太郎

その村井氏と、札幌の横断歩道をわたりながら、私はまたしても三岸好太郎の画風をおもいだした。すれちがう人々が、たとえば尾張名古屋や、伊予松山、安芸の広島などのまちの人達とどこか違うのである。

日本の大都市は、札幌および神戸、横浜などをのぞいて、ほとんど城下町から出発している。むろん城下町には、そのよさがある。

ただ、都市における都市性というのは、多少の気どりで成立している。街路を歩くひとびとは、舞台を歩く俳優のように多少は気取ってもらわなくてはならない。札幌には、それがある。

日本の多くのまちは、まわりの農村にとって入会山のようなものでありつづけている。まちにきても、家のなかの顔のまま−いわば野良着やドテラの顔のまま−で歩いている。

−親しみやすいまちですね。

といわれるのは、都市にとってうれしいことではない。

札幌の場合、明治初年の都市建設のとき、都市はこうあるべきだという観念がちゃんと成立して出発したせいか、みな根っからの市民の顔をしている。都市の象徴としての娘さんたち姿が、よその都市よりも自然に背筋が伸びているようなのである。

要するに札幌は三岸好太郎に似ている。

風土が希薄というより、希薄なのが札幌の風土だとおもえばいい

2003/02/17
司馬遼太郎(しば りょうたろう),1997,オホーツク街道−街道をゆく38−,33-34,朝日文庫,朝日新聞社